阪神淡路大震災でわかったこと


(C) TOKUDA Masaaki
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改訂履歴

障害は日常生活よりも、災害などの緊急時によりいっそうの問題を引き起こし ます。1995年1月17日に淡路、神戸を襲った阪神淡路大震災では多くの聴覚障 害者が被害にあいました。日本聴力障害新聞(1995年3月524号)によれば、死亡 者は聴覚障害者が7人、手話サークル関係者が1人、家族の死亡が15人、負傷は 26人だそうです。

全日本ろうあ連盟をはじめとして、全国手話通訳問題研究会や各地のろう協、 手話サークルは、普段からろうあ運動にたずさわり、聴覚障害者の福祉のため に様々な活動をしてきました。それでも今回の地震では今後考えなければなら ないことが多く発生しました。

まず、救出作業においてはろうあ者の発見に手間取りました。ろうあ者は瓦礫 に埋まってしまえば、叫ぶことも、呼かけを聞くこともできません。埋まって しまったらどんなに元気であろうともそれまでなのです。今回の震災では地震 発生から70時間後に助け出されたろうあ者がいました。所在の把握や災害救助 犬など、ろうあ者の状況をいかに把握するかを考えていかなければならないで しょう。
聴覚障害は情報障害と言われています。実際、配給のアナウンス、罹災証明書 の発行場所、仮設住宅の申し込み、どれも音声が中心です。ろうあ者は周りの 状況を見て、わけもわからず行列に並び、移動する人が多かったようです。周 囲の人が少しでも気を配ってあげられたら、と思います。ただ、これは後でも 述べるように大変難しい問題ではあります。
また、マスコミの姿勢にも考えさせられるものがあります。テレビは長田町の 火災や今にも倒れそうなビルばかり放送します。このような映像を朝となく昼 となく見せられれば普通の人でも不安になりますが、特にろうあ者は強く不安 を感じます。ろうあ者には音声が聞こえないので、その光景がすぐ近くなのか、 それともだいぶ離れた所のことなのか、そしていつのことなのかがよくわから ないためです。肝心な情報は何も流さないテレビ、なかなか届かない新聞、情 報を与えるべき者が、恐怖のどん底におとしいれる役割を果たしたなんて、な んて皮肉なことなのでしょう。
幸いなことに手話通訳の派遣が実施されたのはかなり早い時期でした。全日本 ろうあ連盟や全通研が統括して迅速に動けたのは日頃の団結力の賜でしょう。 しかし、いざ現場に行ってもなかなかろうあ者に出会えない。通訳よりもろう あ者探しに奔走したというのが正直な話だそうです。また、通訳がろくにでき ない者まで神戸に来ていたようですが、そのような人は参加を遠慮するべきで した。それでは観光者と変わりません。そして今後まだまだ続く震災処理にお いて、手話通訳が絶対的に不足する現状は最重要課題となるでしょう。

最近になって事件が起きました。聴力障害新聞(1995年5月526号)によれば、神 戸の市営住宅に住む66歳の女性のAさんは自治会より転居を迫られています。 自治会の役員はAさんが身勝手であると言っています。配給のオニギリを3食分 まとめて配ったのに夜の分がないと文句を言う、特別に身体障害者用の巡回風 呂に入れてあげたのにありがとうの一言もない、そんな人は出ていってもらい たい、ということです。
ろうあ運動に関わっている人は、ここまで聞けば「あぁ、やはりこういうこと が起こったな」と思うでしょう。というのも、こういう問題は大なり小なり我々 は見聞きしているからです。私も含めて、予想通りAさんは普段から近所つき 合いがほとんどありませんでした。周囲で手話を理解する人はなく、普段Aさ んに連絡をする時は筆談(紙に書いて話す)でした。これで周囲の人はAさんに 連絡できたと思っていたようです。
ここに重大な落し穴があります。高齢のろうあ者は一般には日本語が理解でき ない人が多いのです。特に識字には絶望的な人がいます。これが聴覚障害の恐 い側面です。「単に耳が聞こえないだけだ」「書けばわかる」というような先 入観はほとんどの場合には間違っていて、トラブルを引き起こします。今回の Aさんのケースもどうやら、周囲の住民の誤解とAさんの内気な性格にあるよう です。
どうやって周辺住民と協調していくか。ろうあ者にとって切実な問題です。普 段は何も起こらなくても、今回のような事態になると周囲の人にも心の余裕が なくなってきて、問題が起きたりします。問題が起こったところを調べてみれ ば、普通の人同士ならうまくやっている人が、なぜか、ろうあ者を目のカタキ にしていることもあります。そういったものも緊急時に一気に吹きだします。 今回は典型的な事例だと思います。人間の価値はこんな時に決まるのかなぁ、 と思います。

さて、震災から3年がたとうとしています。はたして我々は3年分賢くなり、社 会は3年分進歩したのでしょうか?


TOKUDA Masaaki (tokudama@rr.iij4u.or.jp)

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