(C) TOKUDA Masaaki
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改訂履歴
このページは以下の文献を参考にしています。より深く知りたい方は是非これらの資料を 直接読んでください。
このページは、前々から書いてみたかった「健聴者から考える手話と聾」がテー
マである。10年ぐらい手話の世界に足をつっこんできてわかったのは、「所詮、耳
が聞こえる人間には、本当の聾の世界はわからん。」ということ。わかったつもり
でも、まだまだ間違いを指摘されたり、誤解していることはある。手話サークルの
場は、いつになっても勉強の場だ。
ただ、そんな中でも、わかってきたことはある。全く手話を知らない人と話をして
いると、世間に広まっている誤解に気がつくことも多々ある。一つ一つは取るに足
らない誤解だけれども、それが積み重なって、聴覚障害者が住みづらい世の中を作っ
ているのではないか、とも思う。
また、自分は健聴者であるから、聾問題や手話には、聾者と比べて少し距離をおい
て話すこともできる。当事者には熱が入りすぎて、話がわからなくなってしまうこ
ともあると思うのだ。
ということで、ここでは、私が学んできたことを書き留めておく。ちょっと状況的
に、参考文献を紐解いている時間がないので、記憶と経験だけで書いてしまうがご
容赦願いたい。当然、間違いや勇み足もあるでしょう。指摘、文句、訂正等、よろ
しくお願いしたい。宛先はtokudama@rr.iij4u.or.jpまで。
聾者が被告になった刑事事件。裁判所における聾者の権利を考えるきっかけになった。
1965年(昭和40年)9月。蛇の目寿司という店である2人の聾者が手話で世間話をしながら寿司を 食べていた。手話という存在は普通に知られていたが、当時は、まだ手話を堂々と使う人は少なく、 町でそのような光景を見ることはめったになかった。そういう事情もあったのだろう、その様子を 見ていた他の客が珍しそうに、そして何か馬鹿にするような仕草をしたらしい。そこからその客と聾 者の客がケンカとなり、仲裁に入った店主が突き飛ばされ、たまたま打ち所が悪く死亡してしまった。 その聾者は傷害致死で起訴され、裁判となった。
事件そのものは(本人にとっては重大だが)普通の新聞は取り上げられるかどうかもわからないほ
どささいなもの。この事件でなにが注目されたのかと言えば、被告が聾者であることだ。当時は手話
通訳も整っていなかった。裁判所でのやりとりが全くわからない状況が起きたのである。そこで、東
京の聾者が「まもる会」を作り、知る権利を求めて運動した。
聾者の必要とする手話通訳は、どんな場所にでも必要であることを認識させられた事件である。