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    メールマガジン 「語ろうか、手話について」

No. 55                                              2001年 8月 8日発行
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  こんにちは。暑い日が続きますね。特に関東地方は雨もなく、水不足が心配
です。

  先週は初のお休みとなりました。申し訳ありません。今回は先週配信するは
ずだった、私の昔話です。No.50に引き続き、映画「どんぐりの家」上映会に
ついて語ります。今回は、私が関わった野々市の上映会について、2つの大失
敗を含めて、お送りします。

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  石川県では野々市地区が一番早く上映されることになりました。映画は夏に
製作が終わるはずだったのですが、少しずれ込み、製作直後に公開予定だった
埼玉や大阪は会場キャンセルなど混乱したそうです。うちは、遅れを織り込ん
で計画したので、運良く、かなり早い時期に見ることになりました。と、同時
に、これは活動の主体となっていた「工房シティ」の行動力のたまものだと思
います。

  野々市地区の上映基金は県サ連ではなく、「工房シティ」が供出していまし
た。県サ連と県ろう協は、上映場所をどことは決めていませんが、県内での上
映基金を4口持っていました。事前の相談の結果、最後の収益金の分配に悩む
のが嫌だったので、野々市だけ工房シティ主催で上映会を開き、県サ連・ろう
協とは別行動ということになりました。とは言っても、野々市は金沢市の隣。
石川県ではかなり人口が密集している地域であり、昼は金沢で働き、野々市に
住んでいるという人がたくさんいます。野々市だけ切り離して考えることはで
きません。ですから、当然の事ながら、県サ連も工房シティもお互いに話し合
いながら、協調して上映運動をしていくことになりました。

  その橋渡しとなったのが、野々市の手話サークルであり、県サ連事務局員で
野々市手話サークルの会員である私です。
  野々市手話サークルとしては、このような活動は初めてでしたし、私自身、
このような大がかりな活動は初めてでした。野々市ろう協は福祉大会などの経
験があったのですが、手話サークルは、私より古株の会員がすでに全員いなく
なっていて、積み重ねがない状態でした。署名活動やバザーをやったことはあ
るのですが、あれは、その日さえやりすごせば結果はどうあれ、終わりとなり
ます。しかし、今回は赤字にしてはならないという至上命題があります。県サ
連事務局役員としての私は覚悟を決めていたのですが、野々市サークル会員の
立場としては、まだかなり不安がありました。自分に出来るのかということと
手話サークルの会員がついてこれるのかということ、そして他団体と協調行動
が取れるのかどうか。とにかく不安でした。

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  それでも決まったことはやるしかありません。目標は明確なのですから、そ
れに向かってやるだけです。1997年の初めから月1回、工房シティと野々市手
話サークルの担当者が集まって、会議を開くことにしました。そして春ぐらい
には、それ以外に関わる人も集まって、実行委員会としての例会を開くように
なりました。当初は顔と名前を覚えるだけで、たいした話もできなかったので
すが、7月にはプレイベントとして何かをすることが決まり、10月の上映会に
向けての活動内容が決まっていきます。その間、県サ連からは色々と注文ばか
り言っていたように感じます。実行委員会には手話通訳をつけろとか、チケッ
トの代金は統一しろとか。それに対して工房シティはよく応えてくれたと思い
ます。逆に、野々市の運動としての一体感には欠けたようにも感じます。それ
は、また後で述べます。

  さて、そんな中、最初に起きた事件は手話通訳に関係するものでした。

  通訳が必要というのは建前上はわかっていても、なかなか実行できないもの
です。県サ連とろう協で何か実行委員を作っても、そこに通訳をつける事なん
てしません。たとえ、そこに手話の初心者がいて、手話がわからなくても、誰
かが通訳してしまうからです。その実行委員会がとても公式なものでも、メン
バーが身内だと自然と甘くなってしまうものです。

  野々市の上映実行委員会もほとんど身内のものでしたが、県サ連事務局とし
ても距離感がつかめずにいて、結構、強硬に手話通訳の必要性を説いたように
記憶しています。野々市サークルには私も含めてほとんど通訳としての技量を
持つ人がいなかったので、実行委員会の内容がろうあ者に伝わらない心配があ
りました。とは言うものの、参加しているろうあ者は顔見知りの人なので、ほ
とんどサークル会員でなんとかなるのも事実でした。個人的には、手話通訳者
の派遣はお金もかかるし、どうしようかと迷っていた時でした。ある事件が起
きます。

  当時、野々市ろう協の会長は仕事が忙しいということで、ほとんど手話サー
クルには来ていませんでした。手話を教えてくれていたのは対策部長です。で
も、実行委員会には会長が入った方がいいということで、ろう協の会長が上映
実行委員会の会長になることになりました。でも、それは建前上のこと。実際
の実行委員会は、工房シティ、手話サークル会員、ろう協の対策部長でこなし
ていました。

  そんな中で迎えた、4月の実行委員会結成式。今までの身内小規模会議とは
違い、初の正式な集まりです。50名ぐらい集まったように記憶しています。
  そして、その場で会長が挨拶をすることになったのですが、サークルの誰も
が、この会長の手話を読みとれないのです! いえ、読みとれるのですが、日本
語にならないのです。普段、読みとり練習をしている対策部の人の手話なら通
訳もこなせるのですが、あまり会ったことのない会長の手話、しかも内容がか
なり理念的で難しく、サークル会員は、全員沈黙してしまったのです。
  全然わからないというわけではありませんでした。私を含めて、手話サーク
ルの会員歴4〜5年ぐらいの人は、手話として頭の中に入るのですが、それが日
本語として口から出てこないのです。通訳としての訓練をしていないのですか
ら、仕方とも言えますが、とにかく大失敗でした。
  工房シティの人達には、会長が何を言っているのかわからないし、手話サー
クルの会員は焦るばかり。結局、対策部長がかみ砕いて表現し直し、それを日
本語に通訳することで場を取り繕いました。工房シティの人も、そして手話
サークル会員も、手話通訳者の必要性を痛感しました。

  ということで、月1回の実行委員会には手話通訳者を派遣してもらうことに
なりました。その費用は上映活動の中から出すことになりました。それでも実
務担当者のみで集まる時は、相変わらず手話サークルの人が通訳してましたけ
ど。

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  もう1つの事件は、私の大失敗。

  私は県サ連の事務局員としての橋渡し役を担っていたわけですが、結構気楽
に考えてました。「まぁ、どうなっても、話せばみんな納得するだろう」と。
今まで色々やってきた仲間であるわけですし、多少の無理は通すことが出来る
だろうと思っていたわけです。

  基金を集めて、正式に動き始めた当初は、県サ連も野々市も、私の思惑通り
順調に進んでいました。

  そして、野々市の実行委員会の人もだんだん数が増えてきて、最終的には学
童保育の団体も加わります。なんでも学童保育の人達は毎年秋に映画上映会を
開いておりそれに「どんぐりの家」にしようという話です。我々にとっては、
学童とその親という観客兼人手が一気に増えるということで歓迎しましたし、
学童さん達にも映画上映会の手間が省けるというお互いに利点のある合流でし
た。

  ここで問題が1つあがりました。学童さん達は、会員向けに料金を安く設定
したいというのです。というのも、例年開いている映画上映会は関係者に気軽
に見てもらおうということで、親子1組で1000円程度で運営していました。流
れから考えて、当然、野々市上映会は、この話を了承しました。県サ連主催の
上映会はかなり早い時期に大人1人1200円、子供800円の方向を打ち出し、県内
統一料金での活動をしていましたが、私は問題ないと思っていました。特別な
事情として分離できるだろうと思っていたのです。この見込みが甘かったので
す。

  そして、2週間ぐらいして、県サ連と県ろう協の上映会関係者が集まる機会
があり、この件が取り上げられました。私が「野々市地区のチケットは、大人
1200円、子供800円であるが、親子で1000円の組み合わせがある」ということ
を言いました。その途端です。他の地域から大反対が出ました。客が取られる
とか、当初の決まりを守れないとはどういうことだとか、猛烈な抗議です。で
も、言っていることはもっともなんですよね。私も、野々市でない立場なら、
同じ事を言ったでしょう。
  でも、その時の私は野々市の立場。「うちだって客を集めるために必死な状
況をわかってくれよ」と心の中でつぶやきながら、私は説得の言葉を失って呆
然。たぶん、目もうつろだったと思います。
  その場は、県サ連会長の佐藤さんと、あのおだやかな吉本さんに、おさめて
もらいましたが、もう自分の説得力のなさに情けなかったです。
  結局、学童向けチケットは一般に公表せず、発売せず、完全に学童向けとい
うことになりました。

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  1997年7月25日。この日、野々市地区の実行委員によりプレイベントとして
講演会が行われました。講師は「どんぐりの家」の施設長の細野さん。プレイ
ベントというアイデアもさることながら、当事者を呼んでしまうという行動力
にも驚いたものです。

  それから夏にかけて、なんと、私は、内地留学で千葉大へ行くことになりま
す。もちろん実行委員会にも出席できません。なんて無責任なことでしょう。
結局、当日までほとんど留守にしてしまいます。
  でも、手話サークルの人達が私の穴を埋めてあまりある活動をしてくれまし
た。最初は、「手話サークルの人達がついてこれるか」心配だった私ですが、
それはまさに私の思い上がりでした。手話サークルは、私がいなくたってしっ
かりしており、当日まで、そして映画上映当日もしっかりと責務をこなしてい
きました。
  振り返れば私が勝手に心配していただけでした。そして、手話サークルを成
り立たせるのは個人の力ではなく、全体の協調だということを思い知ったので
あります。サークルにしてみれば、思い上がるのもいい加減にしろって私に言
いたかったでしょう。ホント、申し訳ない。私はあれを機会に改心しました。

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  私のやったことは、ちょいと石川に帰った時に、教育委員会への後援取りに
使い走りしたりしたぐらいで、野々市サークルの活動には、ほとんど参加でき
ませんでした。そして、そのまま当日を迎えます。千葉から600kmを軽自動車
で走り、慣れない背広に身を包んで、「どうも、ご無沙汰してます。留守にし
てて、どうもスンマソン」と会場に行くことになりました。

  1997年10月3日。金曜日という平日の夕方にもかかわらず、1100名を越える
方が映画を見に来てくれました。映画上映は大成功。嬉しいというより、私と
しては、ホッとしたというのが正直なところです。これで、今後、県サ連の事
務局として県内4ヶ所をこなしていく自信もつきました。

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  さて、あと少し、どうでもいいことかもしれませんが、当時思ったことを記
録として書き残しておきます。

  当日のお昼のことです。映画上映を午後に控え、工房シティ、ろう協、手話
サークル、学童さん達が集まり、無事に、この日を迎えたことについて、一言
づつ述べました。そして、私達、手話サークルは最後に工房シティの皆さんか
ら花束をもらいました。
  それがとても印象的です。収益金は工房シティにあげることは決まっていま
したし、ポスターを貼る量も少なかったし、チケットの売り上げも少なかった
し、県サ連からは文句ばかりを伝達するしで、協力というより足を引っ張った
感もありましたが、私としては共に活動してきた仲間のつもりでした。でも、
結局は工房シティにしてみれば、我々がお客さん的に協力したんだな、とわか
らされたのです。工房シティは気を遣いすぎだなと思うのと同時に、共に活動
することの難しさを改めて感じました。

  石川県で最初の上映会。たぶん、一番やりたかったのは、言い出しっぺの吉
本さんだったと思うし、県内全域活動担当の森川さんだったと思います。それ
に県サ連が全県的に活動しているのに、それ以外の団体が先行するということ
をあまりよく思わない人もいるかもしれないと、私なりに気を遣いました。杞
憂かもしれませんが、活動の終盤をほとんど留守にする私のせめてもの罪滅ぼ
しは何かと考えて、県内の9地区ろう協、県ろう協、各地の手話サークルに招
待券を送りました。わずか1枚ずつですけど、他の地域にしてみれば試写会の
意味を込めて来てもらえるといいかな、と思ったのです。招待券は実行委員会
の名前つまり、手話サークル、ろう協、工房シティ、学童の連名で送りました
が、実は私の自腹です。改めて振り返ると、こういうことをやってしまうと爆
発的な成功にはならないと思いました。私もこれで自己満足して、活動意識が
低下してしまったような気がします。本当はもっと沢山の人に見てもらうこと
に力を入れるべきであったので、お金の負担はともかく、考え方として間違っ
ていたと思います。

  工房シティとの活動の中で、強く思ったことは、聴覚障害の特異性です。「
どんぐりの家」の作者である山本おさむ氏は、コミックのあとがきなどで、現
在の競争社会なのかで取りこぼされていく障害者達の人権について述べていま
す。それに対して、私が映画上映活動で思ったのは、聴覚障害者は、障害が不
便でこそあれ、社会参加は容易だということです。それに対して、工房シティ
に通っている知的障害者の方々は、どうあっても福祉という形の援助が必要で
あり、それがなければ生死に関わってきます。個々の障害の特性を無視して、
すべて福祉という枠組みでくくるのは、難しいことだなと思いました。

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  「どんぐりの家」の映画の話は、あと1回。石川県全体の話です。あと余談
として映画のシナリオが途中で変わった話です。実は河合さんが登場するシー
ンは最初のシナリオにはなかったんですよ。詳しいことはNo.60で。

  では、また来週、普通の「語ろうか」で会いましょう。

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