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    メールマガジン 「語ろうか、手話について」

No. 70                                              2002年 1月23日発行
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  皆さん、こんにちは。

  今回は5回区切りなので、自分の今までやってきたことを話そうと思うので
すが、No.65の時に話したとおり、すでにネタ切れです。色々考えたのですが
少し昔話をします。よく聞かれる「手話を始めたきっかけは?」って話です。

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  手話サークルはご存じの通り、結構女性が多いです。男は珍しいです。大学
や会社のサークルはそうでもないのですが、地域サークルとなると圧倒的に多
いのが主婦のように感じます。あとは会社員と学生が半々ってところでしょう
か。そのあたりは地域によっても違うと思いますが、会社員男性という人間が
サークルに少ないのはどこも同じようです。

  そんな珍しい存在なので、よく手話を始めたきっかけを聞かれます。という
わけで、よく聞かれる質問なので、よく答えているのですが、その内容を全然
信じてもらえません。早い話、私が手話を始めたのは「暇だった」からなんで
す。

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  私の親戚には聴覚障害者がいません。近所にも住んでいません。私は高校ま
で、聴覚障害者とも、手話とも無関係な時と地域に暮らしていました。手話と
いう存在は知っていましたが、それは声の代わりにせいぜい手を動かして話を
するという程度のことです。

  かろうじて、頭に残っている数少ない聴覚障害者に関する記憶は、武田鉄矢
の「刑事物語」に出てきた聴覚障害者と、中学時代に同級生が読んでいた手話
の本ぐらいです。

  刑事物語はいくつかシリーズ化されていますが、聴覚障害者が出てくるのが
どれかは忘れました。「いくおーる」という雑誌の映画の特集でちょっと紹介
されていたような気がします。そこでは酷評されていましたが、今思うとなか
なかよくできた話だったように感じます。武田鉄矢が刑事役で、ある時、風俗
店(俗に言うソープという店ですな)に手入れにはいると、そこで働かされてい
る、ろうの女性を保護します。なんでかわかりませんが、武田鉄矢役の刑事は
転属になり、彼女を妹として連れて行きます。それから、チャンチャンバラバ
ラがあって、彼女を好きになったりするのですが、最後に田中邦衛扮するろう
者が彼女と結婚したいと言って、武田鉄矢役の刑事は身を引きます。田中邦衛
は途中でほんの少ししか出てこないのに、最後になって彼女を連れて行ってし
まうのは、当時とても不自然に思ったのですが、今になって考えると、障害者
同士の方が惹かれあうということがわかります。

  中学の時の記憶は、なんでかわからないけど、頭に残っていて、私より2人
ほど前の席に座っていた女子が手話の本を授業中にこっそり読んでいたのを覚
えているのです。そこに「日本」という手話が描いてあったことも覚えていま
す。なんでかわかりませんが、そのシーンだけ頭に残っています。

  といった具合に、高校までを振り返っても、聴覚障害や手話に関することは
この2つのわずかな記憶しかないのです。全く関係ない世界に住んでいた、と
言っても過言ではないでしょう。

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  そんな私は高校3年生の時、大学受験の勉強に飽きて、とにかく入れる大学
を探し出します。中学まではクラスでも上位一桁に入るほどの成績だった私で
すが、高校には背伸びして入ったために、いつも最後から2か3番目。クラスの
人数が50人ちょいだったので、私は「フィフティズ(50番台)」の常連でした。
ですから、私がまともに受験しても、大学に浪人せずに入れるかどうかもわか
りませんでした。でも、勉強はイヤ。ということで、冬直前にしてなんとか推
薦入学できないかと大学を探したわけです。幸運なことに、私は情報処理技術
者2種(今では、この名称もなくなってしまったぐらい古風な資格です。)の資
格を持っていたので、それだけで理系のみの単科大学である金沢工業大学を推
薦で受験し、なんとか入学することができます。場所は石川県です。初めての
一人暮らし、初めての引っ越し、初めての北陸に胸躍らせたものです。

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  そんなふぬけた精神で入った大学でしたが、とりあえず専攻は、好きな分野
だったので、講義についていくのは楽でした。むしろ、図書館で先のことを独
自に勉強していましたし、大学内のCAI教室というところで、コンピュータに
ついて鍛えてもらったので、単位取得の苦労というものはほとんどありませで
した。

  となると、すごい暇なんです。大学生がアルバイトに精を出し、クラブ活動
にいそしむ理由が入ってみて、ようやくわかりました。

  そこで普通に何かのサークルに入り、アルバイトすれば普通の大学生として
過ごしたのでしょうけど、なんと気楽なことにサークルも電子計算機研究会と
いう、その手のサークルに入り、アルバイトもCAI教室というパソコンのソフ
ト製作をする所にいたので、ほとんどコンピュータ漬けの毎日となりました。
でも、これも私の世代の計算機屋にはよくある話。ここで真剣に計算機で遊ん
でいれば、今頃はインターネットの先駆として富と名声を得ていたのかもしれ
ませんが、私の転機は、地域新聞によってもたらされました。(実際インター
ネットでもNetNewsという所ではいくらか有名になったのですが、ここでは関
係ない話なので割愛します。)

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  住んでいたアパートは野々市と言うところにありました。野々市は金沢市の
隣にある人口5万人弱の町です。金沢を東京都に例えれば、野々市は埼玉や千
葉のような感じで、金沢と切り離しては存在できないような町です。かろうじ
て大学があるので、人口を維持し、商店街があるようなところです。でも、な
かなか便利な町です。そこには、地域新聞が無料で発行されていて、月に1度
ぐらい配布されます。皆さんの地域にも似たような新聞があると思います。地
域のお店の紹介があって、中には募集広告がたくさんのっているようなミニコ
ミ誌です。当時はまだ景気の良い頃だったので、そういうのが2誌ぐらいあっ
て私は暇だったこともあって、結構まめに読んでいました。その中に「初級手
話講習会開催」というのがあったのです。受講料は無料、但しテキスト代は別
で、毎週1回、10回シリーズというもの。場所は歩いてわずか5分程度の公民館
でしたし、これをやってみようかと思ったのです。高校時代まで内気だった私
が、こんなことを始めてみようなんて思ったのも、今にしてみればとても不思
議でしたが、これで少し社交的になれるかなとも思ったのです。

  次の日、講義の合間をぬって、町役場に行き(「あぁ市役所じゃないんだ」
と思ったのもこの時だったと思います。俺は田舎に来たんだなぁ、としみじみ
しました。)、福祉課で簡単な申し込みをして、返信を待ちました。しばらく
すると簡単な案内が来て、5月ぐらいからの講習会に参加することになりまし
た。

  ということで、私が手話を始めたのは、このように「暇だったから」なんで
す。大学に入って自分を変えたいと思っていたのは確かで、もし、この時、点
字ボランティアが目に入ったらそれに参加していただろうし、共同作業所の活
動に誘われたら、それに熱中したかもしれません。学生運動全盛な時なら間違
いなく、そういうことをしていたでしょうし、もしかしたら、オウム真理教に
はまっていたかもしれません。(事実、金沢はオウム真理教の伝道所があるぐ
らい活発に活動していましたから、今思うと、この確率はかなり高かったので
す。)

  最初に、手話に触れることになったのは、本当に運がいいとしか言いようが
ありません。その後、大学の学部3年生以降に、作業所も、民青(共産党の青年
部)も、点字も関わる機会はありました。でも、結局、手話に戻ってきたのは
手話の奥深さと、この分野なら自分でも役に立てそうだと思ったからです。点
字は、すでに解決の方法が見えていましたし、知的障害の問題は、私にはとて
も手に余ると思ったのです。手話は私の好奇心を満たしつつ、長期間活動でき
そうな手頃なテーマでした。

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  暇だからで始まった講習会でしたが、この講習会はとても原始的なもので、
教えてもらったのは、日本語対応手話でした。当時は教える方も、教わる方も
それに疑問をあまり持っていませんでした。そして、聾者が使う手話は「ろう
的手話」として、全くレベルが違うものとして、とらえられていました。まだ
すっきりと、このあたりを説明する人は石川にはいませんでした。

  そんなこんなで、私は挨拶、指文字から始まり、一通りの手話の講習を受け
ました。同じ時に受講していた人には、やはり男は少なく、私と、それから30
代ぐらいの看護系の仕事をしている人、それから定年退職したおじいちゃんし
かいませんでした。あとは主婦、保母さん、OLといったところでしょうか。も
うほとんど記憶にありません。ただ「徳田」という人が講習会には3人いまし
た。それぞれ手話の名前を付けようと言うことになりました。1人は松任市と
いう隣の市から来ている主婦の方で「得+田」になりました。もう1人は小松市
というかなり離れた所から来ているOLさんでした。その人は「徳島+田」にな
りました。私が問題でした。講師の先生は色々考えた末「徳川+田」という表
現を付けてくれました。「徳川」というのは、耳のところをくるっと手を回す
表現で、徳川家康の福耳を表現したものだそうです。でも、この表現を一発で
「徳田」と呼んでくれる人はいませんでした。

  この時に、ふっと思ったのです。つまり、この名前の表現は今後の活躍の期
待度なんじゃないかなと。期待が強い人ほど、普通の表現がつけられているの
ではないか、と。今になればわかりますが、学生の男がサークルに残る可能性
はすごい少ない。残るのはやっぱり主婦です。それを思って、少々落ち込みま
したが、私もそれほど長くいると思わなかったので、ま、いいか、とふっきり
ました。その後、最後まで残ったのが私ということは、講師の先生にも、そし
て私にも予想外の展開となりました。

  その時に講習会を受けた人は仲が良くて、その年のクリスマス会ぐらいまで
は、仲良く活動していたのですが、そのうちになぜかだんだん少なくなり、次
の年に残ったのは、私と、もう一人の小松の徳田さんなど5人ぐらいでした。
松任の徳田さんはいつのまにかいなくなっていました。

  その後、小松の徳田さんは、金沢市のろう者と結婚して、現在も金沢在住で
す。金沢は広い市で、徳田さんが引っ越した先は、かなり遠く、結婚を機に車
を手放した彼女は野々市のサークルには来られなくなってしまいました。結局
野々市に残った徳田は私だけになってしまいます。小松の徳田さんが結婚する
頃には、私も県サ連(石川県手話サークル連絡協議会)で活動していたりして、
徳田と言えば「野々市在住で、辰口のわけのわからん大学院に通っている男の
変な大学生」というイメージが石川県の手話関係者の間に定着し、自分の名前
も「徳島+田」と表すようになっていました。

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  結局、石川県に居たのは9年半。サークルは活発な時もあれば、3人だけとい
う時期が2ヶ月程続いた時もありました。最初の初級講習会で、私に手話を教
えていたろう者とも長いつきあいになりました。私は心の中で師匠と呼んでい
ます。師匠に教わった人はかなりの人数になります。私が師匠と会ってからも
沢山の人が通訳になりそうで、ならないという状況が続きました。教えても教
えても、いなくなってしまう。そんな状況を私も見てきました。その結果、私
は一つの結論に至るのです。手話通訳者を生み出すためにも、育てるためにも
手話サークルが大切だと。人材を供給する場として、通訳者を支える団体とし
て、手話の技術を切磋琢磨する場として、広く一般市民に聴覚障害者の理解を
広めるため、これほど日本的なものはないと確信したのです。

  そんなわけで、この「語ろうか」も手話サークルにいくつかこだわった記事
を書いています。

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  No.75は、たぶん、討論集会の報告になると思います。

  では、また来週。

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